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2017年7月21日金曜日

【レース結果】舞洲24時間リレーマラソン

遅ればせながらレース結果報告。
(しばらくしたら本来の時系列に移動させます)

先週末の土日は舞洲24時間リレーマラソンを走ってきました。
15日正午から16日正午まで1周1.4kmを走り続けるクレイジーなレース。
ツバッキーと関西ASチーム(18人)の一員として参加してきました。
結果は24時間で329周(Ave.4′21″)で優勝しました。
この大会への参加は2回目。
2年前は台風の影響により開始が17時からとなり、19時間の短縮開催。
このため、初の24時間挑戦。
結局、故障が完治しなかったこともあり、レースは3月のびわ湖以来のぶっつけ本番。
西迫キャプテンから誘われて参加表明したことを後悔していましたが、やるしかありません。

当日は7時前に起床。
家にて軽めの朝食。
8時過ぎにメンバーの今田さんを大山崎で拾って高速で舞洲に向かいます。
渋滞で集合時間の9時半には少し遅れました。

着くと強烈な暑さ。
少しして11時過ぎにみんなでコースを2周ほどjog。
梨状筋、腸腰筋の張りは気になりませんでしたが、股関節が固まっており痛い状態。
流しを入れると股関節が破壊しそうな感覚。
走る順番は以下の通りで、1チーム6人の3チーム制で自分はAチームの5番手。
寺井→中島→巻野→岩田→薮谷→安田
→藤松→木村→外村→山室→山口→今田
 →行場→浜田→衣斐→兼重→岩根→西迫
18人のメンバーでjogだけのアップで股関節を伸ばすストレッチを多めにして1本目に備えました。

1走の寺井氏がトップでタスキリレー。
800mで九州選手権を2度も制したミドラーですが、マラソンを2時間半で走るマルチランナー。
幸先の良いスタート。

前走のガンちゃん(岩田さん)からトップでタスキをもらい、とりあえず自身の1本目。

中江さんに抜かれないように飛ばします。
1km以上を速いペースで走るのはびわ湖以来。
股関節が少し痛くて動きは悪かったですが、1本目は4分14秒で、ウルトラの日本代表経験者の安田さんへタスキリレー。
1、2本目は思ったよりも走れたなと思ったのですが、2本走ると、早くも股関節が更に固まってきてヤバい状態に。
走り終わると痛くてたまりません。
アップでjogをしても止まって少しすると痛む状態。
ノルマをこなせるか不安になり、流しをしている余裕はないと悟り、流しを断念。
その後はほとんどアップのjogもほとんどせずに股関節を伸ばす体操や動的ストレッチだけで出走。
走り出しは痛くて200mくらいの平坦を徐行運転。
続く下りでは着地衝撃が大きすぎて股関節に響くのでスピードが出せずに中間点まで。
そのあたりで痛みが麻痺してようやくスピードに乗れたと思うと上りでスピードダウン。
上りきって少し休んで、ラスト400m位をへなちょこスパート。
そんな走りをひたすら繰り返しました。

21時までは75分強のサイクルで1本。

暗くなってからは、2年前に小さなバンクが見えずに危うくダイブ仕掛けた恐怖がトラウマになっていたので、ヘッドライトを装着して走りました。
あとから聞いたのですが、チームゼロの瀬尾さんは下ってすぐの小さなバンクでダイブしたとか。
幸い大ゲガにはならなかったようですが、夜は集中力も切れかねないので恐怖のコースです。

それはともかく、8本を走って21時からは約3時間の休憩。
ややしっかりめに食事を摂ってから、仮眠を試みるも眠れず。
しかも海風のせいかランパンランシャツでは寒さを感じ、眠れず少しウトウトしただけ。
無情にも0時前に起こされて、そこから6時過ぎまで約50分弱のサイクルで7本。
0時~1時台は食べたものが胃に残っており腹痛に見舞われます。
2時~3時台は走る前の待ち時間に猛烈な眠気が襲ってきます。
ただ、夜中にこれ以上の50分以上のサイクルを取るともっと眠くなって走れなくなる感じでした。

普段なら睡眠中で一日で最も低心拍の時間帯。
そんな時間に中距離走で心拍数を最大近くまで上げているクレイジーさ。
夜中に何をやっているんだろうという思いを殺し、先を考えず1本、1本を義務的に走りました。
また、夜中3時頃には早くもGARMINが電池切れ寸前。
充電する術はなく、以降は、タイムとGPSによる距離の計測を断念。
前走のガンちゃん(岩田さん)が戻ってくるまでの時計として使用しました。

夜が明け始めて白けてくると眠気もなくなり、再び約75分サイクルに。
股関節の方は固まって痛いままでした。
7時台になると強烈な暑さで1本走る度にすごい発汗。
ほぼ徹夜明けの働きの鈍い頭であと何本走らなければいけないかを計算しまくっていました。

ラスト2本前。
キャプテン西迫さんの奥さんにマッサージをしてもらって少し復活。
結局19本走ってAve.4′31″。
(4′14″‐20″‐22″‐24″‐29″‐30″‐32″‐33″‐34″‐34″‐34″‐35″‐36″‐35″‐37″‐37″‐36″‐37″‐32″)
キロ3′10″ペースのAve.4′26″くらいでは走りたいと思っていました遠く及ばず。
チーム平均(4分21秒)よりも10秒遅いラップで足を引っ張りましたが、つなぎ役としてみんなと同じ19本を走らせてもらいました。

自身ラストとなる19本目を走り終えてからは全員の走りを観て終了。
最後の1本の走り(特にラストスパート)は心に響くものがありました。

11時50分になると、タスキリレーは終了し、そのまま24時間になるまで最終ランナーとして走り続けます。
自分のチームはキャプテンの西迫さん。
そして、ライバルの関西Dチームは、エース前ちゃんでした。

前ちゃんはやはりマラソンランナー。
自分と同じく上背はないのですが、バネがあって伸びやかな走り。
明らかに他の走者と異なるそのフォームに見とれてしまいました。

チームメンバーのうちマラソン20分を切る藤松さんが19本を平均4分08秒と強烈な強さ。
ラストスパートのスピードを見ましたが、別格の速さでした。
そして風邪で体調不良のまま参加したもう一人のサブ20ランナーの行場さんも19本を平均4分11秒。
世界のナカジも平均4分11秒。
この3人がチームトップ3。
他のメンバーも強烈な速さでした。
明らかに自分は足を引っ張っていましたが、強いメンバーの中に、スピードのないオッサンを1人加えてもらえたことに感謝です。
若い連中の酸素負債を抱えたまま追い込んで走る姿勢に自分の心の弱さを垣間見ました。
また、中継地点で熱い声援での鼓舞。
学生時代には当たり前でしたが、忘れていた何かを思い出さえてもらえました。
優勝の感激とともに、合間の時間に練習法や調整法、海外レース、ケアの仕方などの話も聞けるという貴重な時間を過ごせました。

そして忘れてはいけないのが、24時間の間、暑い中、夜を徹して食事準備やタイム取り、タイムキーパーをしていただいた監督やサポートメンバー。
作ってくれた、キュウリの浅漬、おにぎりや作ってくれたお菓子、そうめんなどを貪り食っていました。
 
感謝しても感謝しきれません。
この場を借りてお礼を申し上げます。



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